日本電子精機の歩み
History of Nihon Denshi Seiki
1973年に創業し、2023年には50周年という節目の年を迎えた私たち日本電子精機。
その歩みは、モノづくりへの情熱が支えた挑戦の歴史でもあります。
開発・開拓者マインドの
原点。
創業者が生まれ育ったのは、太平洋戦争末期に特攻基地となった「万世飛行場」があった南さつま市。若き日に同飛行場で無線技士として働いていた創業者は、その経験を通してモノづくりや飛行機で大空を自由に飛び回ることへの思いを深めていきました。後に創業者は、仕事が休みの日には模型飛行機づくりを楽しむように。その姿は息子であり現社長の丸野正徳の目に焼き付いており、モノづくり好き、飛行機好きのDNAが受け継がれていきました。
視線はすでに、世界へ
大手家電メーカーで開発職に従事していた創業者が、大阪府八尾市で会社を設立。白物家電向け電子基板の製造を主業務としていたことなどから、社名が「電子精機」になりました。加えて、「日本」を社名に冠していたことから、当時から世界を視野に入れたことがうかがえます。
メーカーへ脱皮。
研究開発型企業へ
下請け会社ではなく自立したメーカーへの脱皮を志していた創業者が注目したのが、パチンコの玉を素早く正確に数える機械。独自開発の技術によって速さと正確さを実現した計数機は「ジェットカウンター」と名付けられ、大ヒットに。現在の発展へつながる礎を築きました。
未知の領域、
フレキソ印刷へ挑戦
機械づくりのノウハウを活かして次に挑んだのが、日本ではまだだれも作ったことがなかったフレキソ印刷機。先進地であったアメリカを視察し、印刷工程と機械が果たしている役割を詳細に学んだ創業者は帰国後、独自の技術開発に着手。日本初となるフレキソ印刷機の開発・生産を実現しました。
樹脂材メーカーへと成長。
ハードとソフトの2本柱体制に
印刷機とともにフレキソ印刷を支えるのが、樹脂版です。印刷機メーカーとして知見を深めた当社は、業界こそ共通するものの技術領域としては大きくことなる樹脂版にもチャレンジ。「より良い印刷を実現してお客様に貢献したい」の思いのもと、感光性樹脂版「ルナフレックス」を完成させました。これにより、製版から印刷までのフレキソ印刷トータルシステムが実現しました。
とどまることのないチャレンジ
「ルナフレックス」は、さらなる技術改良を経て「ジェムフレックス」へと発展。フレキソ印刷関連の事業が会社の成長を引っ張るなか、次の時代を見据えて新たな挑戦に乗り出します。まず2000年には、プリンテッドエレクトロニクス事業の調査を開始。2002年の液晶用高精密凸版微細印刷装置の生産開始、2003年のUV加工微細印刷装置の生産開始と精密塗工装置の開発着手など、間断なくチャレンジを行います。2003年には子会社である株式会社ジェムインターナショナルを設立し、海外営業部を設置。挑戦の舞台を海外へと広げました。
開発・販売とともに、
数々の賞を受賞。
2012年にマイクロコンタクト印刷プロセスとR2R式マイクロコンタクト印刷装置を開発・販売し、2013年にFNP(ファインニードルプリンター)、2014年にゲラ取り装置を開発・販売開始しました。2015年には、付着力コントラスト印刷装置を開発し、新規微細印刷技術の実用化開発に取り組み、Printable Electronics2017大賞、ビジネスモデル部門賞、J-Flex AWARD 2019特別賞を受賞。2016年には、トルネード乾燥機を開発し、乾燥時間を半分に短縮しました。さらに、2019年には両面テープ貼り機を開発し、販売を開始しました。
2020
印刷精度に特化した新規印刷装置の研究開発開始。
2021
インライン装置開発。販売開始。
2022
アニロックスロールレーザー洗浄開始。印版洗浄機開発。販売開始。オートヒートカッターを開発。販売開始。
2023
香芝工場完成